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  • 1 ヒッグス機構

    素粒子の相互作用はゲージ理論という数学的枠組みに基づくが、ゲージ場が質量を持つとゲージ対称性が破れ、繰り込み不可能になる。弱い相互作用における力の粒子 (W±, Z0)は質量を持つが故に、ゲージ理論の枠組みに組み込むことが困難であった。この問題は対称性の自発的破れという概念の導入により克服できた。対称性を自発的に破る作用を持つヒッグス場を導入することにより、強い力を含む全ての相互作用をゲージ理論の枠組みに納めることに成功し、標準理論が成立した。しかし、ヒッグス場はゲージ場の困難は救ったものの、ヒッグス自身の運動方程式は、現象論的に許される最も簡単な式にとどまっており、相互作用の形が正確に決められたわけではない。このため、1 TeVを大きく越える現象にたいしては標準理論の予言能力は大幅に落ちる。ヒッグス相互作用を正確に決めるためには、実際にヒッグス粒子を生産して相互作用のパターンを理解し、相互作用を司る指導原理を発見しなければならない。ここでは、標準理論の基盤である自発的対称性の破れという概念を理解し、ヒッグス粒子を発見する方法について議論する。

    1.1 対称性の自発的破れ

    対称性の良い運動方程式には、同じ対称性を持つ解が存在するが、これが安定とは限らない。例えば、長く細い棒を地面に垂直に立てて真上から力を加える場合、力の強さ F がある臨界値 Fcまではわずかに縮み、棒の周りの回転対称性は成り立つ。しかし、臨界値を越えると真っ直ぐに縮む解は不安定でどこかの方向にたわむ。成立した解では回転対称性は破れている。しかし、どの方向にたわんでも同じエネルギー状態という意味で対称性の名残がある。

    対称性の自発的破れの例1)Benard対流: 流体を重力下にある2枚の平行板の中に入れ、上下に ∆Tの温度差を与える。温度差が小さい内は熱は伝導で伝わるが、温度差がある臨界温度を超えると対流で熱を運ぶ。対流は 6角柱毎に生じ、中心で上昇、壁面で下降する。このとき、温度差が低いときに存在した並進対称性が破れている。対称性が自発的に破れる例である。

    図 1:ベナール (Benard)対流

    以上の例には共通の特徴がある。  (1)パラメター(棒の場合は力の強さ、対流の場合は温度)がある臨界値を越えると、  (2)それまで成立していた対称性の良い配位は不安定になり、安定な基底状態に移行するが、そこでは元の対称性が破れている。  (3)基底状態は縮退している。

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  • 2)強磁性体: 上の条件を充たし、かつ場の理論に応用できる例として強磁性体の自発磁化がある。通常は熱運動でスピンの向きはバラバラの方向を向いているが、磁場を掛けるとスピンの方向がそろって磁化される。これは外部磁場という、回転対称性を破る項を人為的に加えた結果生じる現象である。キューリー温度以下の低温状態では、外部磁場が無くても磁化の方向がそろい強磁性体となる。これは、隣合うスピンにはスピン・スピン相互作用による引力が働いていて、スピンをそろえる方がエネルギーが低く、熱運動に勝つからである (図 2左の図)。このとき磁化すべき特定の方向は存在しないが、実現した基底状態では磁化はある一定の方向を向いている。マクロスケールで離れた場所で生じる各磁化は勝手な方向を選ぶので、磁化の揃った領域 (磁区)が入れ子になってできる (図 2右の図)。磁区の境を磁壁という(格子欠陥の一例)。どの方向を向いてもエネルギーは同じなので実現した基底状態 (磁区)は無限に縮退している。しかし、スピンを持つ電子の数は非常に大きいので、方向を変えて他の真空状態 (磁化の方向の違う磁区)に移るには多量のスピンに同時にエネルギーを与えねばならず、事実上方向を変えることはできない*1) 。つまり、自由度が大きい場合、いったん選んだ基底状態は固定される結果、元々は存在した回転対称性が破れる。この世界に住む小人達にとっては、磁場は常に一定の方向を向いているのであり、ハミルトニアンが回転対称性を持つと認識することは難しいであろう。このように巨視的に多数の粒子を含む系が、ある温度を境に一つの秩序状態に移行する現象は、物性の世界では日常的に観察されていて、相転移と呼ばれる(§1.5補足参照)。場の理論は自由度が無限大なので、基底状態 (真空)の全配位を少し変えて異なる基底状態にするにも、無限大のエネルギーを必要とする。すなわち、一旦選んだ真空は固定されるので、自発的に対称性の破れた真空状態では、元々の対称性は見えなくなる。

    図 2:磁気能率と磁区 左図 (a)高温では電子スピンはバラバラの方向を向くが (常磁性)、臨界温度 (Tc)以下になるとスピンが揃い、磁気能率 (自発磁化)が大きくなる (強磁性)。(b)キューリー温度以下ではスピンの向きが揃った磁区ができるが、場所により選ぶ向きが異なるので、全体としては、磁化の方向がばらばらな磁区の集合体となる。右図:磁区の写真。

    南部・ゴールドストーンボソン しかし、強磁性体を例に取ると、場 (スピン集合体)の一部を、部分的(局所的)に別の基底状態 (スピンを少々回転させた状態)に移すことは可能である。すなわち、一部のスピンにゆらぎを与えることは可能であり、そのときスピン相互作用により、ゆらぎが次々に伝播するので波動が生じる (図 3)。この波動を量子化して得られる粒子はマグノンと呼ばれる。マグノンは、キューリー温度以上でスピンがばらばらの時は発生しない。すなわち、強磁性体だからマグノンが発生するのである。一般的に考えれば、対称性が自発的に破れることによりある種の整列状態になるが、その整列状態の部分的乱れが相互作用により伝播するという波動が新たに発生するのである。

    * 1) もちろんこれを越える強力な巨視的外場を与えればこの限りではない。キューリー温度以下の強磁性体は、ばらばらな方向の磁区の集合体は強磁性を示さないが、外から強磁場を掛ければ一つの磁区が拡がって単一の磁石となる。

    2

  • 図 3:マグノン:強磁性体におけるスピン波。強磁性体内のわずかな擾乱が、隣り合うスピンに次々に伝播し波動を生じる。長波長の極限 (λ → ∞)で元の波のない状態 (ω → 0)に戻る。この波動を量子化するとマグノン、すなわち磁気能率回転対称性の自発的破れに伴う質量ゼロの南部・ゴールドストーンボソンとなる。

    この波動は長波長の極限で元の真空を静的に再現するから、波数 k → 0で ω → 0、すなわち量子化すれば質量ゼロの粒子の存在を意味する。対称性が自発的に破れると新たなボソンが発生するというアイデアを素粒子の場に初めて適用したのは南部・ジョナラジニオである (1960)。フェルミオン (陽子・中性子)対が凝縮して強い相互作用のカイラル対称性が自発的に破れることにより、πメソンが発生すると提案したのが始まりである。その後ゴールドストーンが、「連続対称性が自発的に破れた場合は質量ゼロのボソンが発生する」と一般的に定式化したので、これをゴールドストーン定理といい、発生した質量ゼロのボソンを南部・ゴールドストーンボソンという。

    相転移とゴールドストーンボソン発生のからくりを数学的に表現するため、同じ質量 (µ)を持つ二つの中性スカラー場を考察しよう。ラグランジアン密度は

    L =2

    ∑k=1

    12

    [∂µφk∂µφk−µ2φ2k

    ](1)

    このときラグランジアンは、次の変換

    φ′1 = cosθ φ1 +sinθ φ2 (2)

    φ′2 = −sinθ φ1 +cosθ φ2 (3)

    に対して不変である。θは場所に依存しない定数パラメターである。すなわち φk空間での回転対称性を持つ。ここで、

    φ =φ1 + iφ2√

    2(4)

    なる複素スカラー場を導入して書き直すと、

    L = ∂µφ†∂µφ−µ2φ†φ (5)

    この時は、式 (3)の回転対称性は、φの位相変換 φ → φ′ = φe−iθ(U(1)対称性を持つゲージ変換)として表される。ラグランジアン (5)が、U(1)ゲージ変換にたいして不変であることは自明であろう。さて、以下の議論では自由場でなく自己相互作用をも考えて、質量項の代わりにより一般的なポテンシャルV(φ)を導入する。質量項の他に自己相互作用を取り入れた最も簡単な拡張として系のポテンシャルエネルギーVは次のような形をしていると仮定する。λが正である理由は、系の安定性 (|φ| → ∞でV↛ −∞)を要求するからである。同じ理由で3次の項も考えない。

    V(φ) = V(0)+µ2|φ|2 +λ|φ|4 µ2 = A(T −Tc), λ > 0 (6)

    3

  • Tcは後述する臨界温度であり、相転移の起こる温度である。φは物性論では秩序パラメターと呼ばれる量で、上式は物性論における自由エネルギーの近似式としていろいろな場面に登場する。例えば強磁性体の秩序パラメターは磁化の強さである。高温 (T > Tc)では、µ2 > 0でエネルギーは φ = 0の時に最低値を取る。この時 µ2は場の粒子の質量を表す。しかし、低温では µ2 < 0となり、ポテンシャルはW字形となり、φ , 0でエネルギーが最低値をとる (図 4)。すなわち µ2 < 0のときは質量項の意味を失い、V全体をポテンシャルと見なさねばならない。ポテンシャルの最低点は φ , 0にあるから、基底状態における秩序パラメターの値 (量子力学では場の期待値)は有限値を取る。場の理論では真空の期待値< 0|φ|0 >がゼロでない値をとる。最低エネルギーを与える φの値は

    ∂V∂φ

    ∣∣∣∣φ=v

    = 0 (7)

    の条件から決まり

    |φ| = v√2, v =

    √−µ

    2

    λ(8)

    となる。真空はエネルギーの最低状態として定義されるが、φ1,φ2空間内の |φ| = v/√

    2を充たす円周上

    図 4:対称性の自発的破れ:  (a)高温 µ2 > 0では、|φ| = 0が真空状態となる。 (b)低温 µ2 < 0では、|φ| = vが真空状態となる。この真空は無限に縮退しており、全て同じエネルギーを持つが、一つの真空方他の真空には移動できない。一つの真空はφ1,φ2空間での回転角もしくは複素場 ϕの位相で指定される。すなわち、対称性が自発的に破れると、位相 (ゲージ)が固定される。なお、図では相転移以後の真空状態をエネルギーゼロに設定したので、相転移以前の真空エネルギーは有限値をとる。

    のどこでも良く無限に縮退している。真空を φ = v/√

    2(φ1 = v, φ2 = 0)に選ぶと新しい場は

    φ =1√2(φ1 + iφ2) =

    1√2(v+φ′1 + iφ

    ′2), φ1 = v+φ

    ′1, φ2 = φ

    ′2 < φ

    ′1 >=< φ

    ′2 >= 0 (9)

    となる。φ′1, φ′2は安定点 (真空)からの量子励起状態である。改めて φ′1, φ′2を φ1, φ2と置いてポテンシャルを書き直すと

    V(φ) =12

    µ′ 2φ21 +[

    λvφ1|φ|2 +λ|φ|4

    4

    ](10a)

    |φ|2 = |φ1|2 + |φ2|2, µ′ 2 = 2λv2 (10b)

    ただし、V(0) = λv4/4と置いて、新しい真空状態のエネルギーがゼロになるよう設定した。すなわち、場の自己相互作用の結果、系の基底状態 (真空)が |φ| = v/

    √2に移動して、系全体のエネルギーが低く

    4

  • なり、新しい励起状態 φ1は元の φ1とは異なる質量 µ′を持ち、大括弧の第3項で表される相互作用を行う。第1項は、相転移後の真空状態のエネルギーを表す。一次相転移の場合は、相転移前後の真空エネルギー差が潜熱として解放される。φ2の質量項はないから、これが質量ゼロのゴールドストンボソンである。定性的に言えば、φ1は調和振動型のポテンシャルを持ち、振動するためにはポテンシャルの坂道を駆け上らなければならないのに反し、φ2は円周に沿ったポテンシャルの平らなところだけを動くから、抵抗力はなく質量がゼロとなるのである。

    上の議論では、φ2が質量ゼロのゴールドストーンボソンを表すことを直観的に理解しやすいように、φ = (φ1 + iφ2)/

    √2としたが、別の変換形

    φ → φ′ = 1√2(v+φ1)ei

    φ2v (11)

    の様に置き換えても自由度は変わらず、数学的には同等である。この場合 φ2は位相場と呼ばれる。φ2の量子励起エネルギーが、vに比べて小さければ指数関数を展開して

    φ =1√2(v+φ1)ei

    φ2v ≃ 1√

    2(v+φ1)

    (1+ i

    φ2v

    )=

    1√2(v+φ1 + iφ2)+O

    (1v

    )(12)

    となり式 (9)に還元する。位相場であっても安定点近傍の微小振動は、やはり調和振動子の集合体であり、量子化により粒子像が成り立つことに変わりはない*2) 。この変換で対称性を破った後のラグランジアンは

    H =[

    12(∂µφ1∂µφ1−2λv2φ21)−

    (λvφ31 +

    λ|φ1|4

    4

    )]+

    12(∂µφ2∂µφ2)

    (1+

    φ1v

    )2(14)

    となる。この形は次のヒッグス機構を考慮する際便利である。

    1.2 ヒッグス機構

    ゲージボソンの質量: 自然界にはゲージ粒子の他は質量ゼロの粒子は存在しないので、対称性が自発的に破れると考えるには難があった。ところがゴールドストーン定理には抜け穴があり、長距離力 (ゲージ場)が存在するときにはこの定理が成立しない。南部・ゴールドストーンボソンは整列化した基底状態の一部が局所的に乱れたときに、その乱れが次々と伝播して生じる波の量子である。短距離力であるが故に、乱れの伝播もまた遠くには直接届かず、近隣に伝えた変動が次々とリレーされるのみである。ところが長距離力の場合、力の到達範囲にある基底状態の構成因子が、一斉に足並みを揃えて反応する協同現象が働く。この協同現象は力の効果を打ち消す遮蔽効果として現れる*3) 。例えばプラズマ内ではクーロン力が働く結果としてプラズマ振動という縦波の音波が巨視的に発生し、クーロン力を遮蔽する結果、長距離成分は相殺され、クーロン力は短距離力に変わる。短距離力ということは力の伝達粒子が質量を得たことを意味する。質量ゼロのフォトンが有限質量のプラズモンに変身するのである。* 2) 場がどんな関数形をとろうと、極小点 [V ′(φ = a) = 0]があるならば、その近傍でテイラー展開をすれば

    V(φ) = V(a)+12

    V ′′(a)(φ−a)2 + · · · (13)

    と書けるので、微小振動に限るならば調和振動子型ポテンシャルを持つ。量子化すれば、質量m= V ′′(a)を持つ粒子像が得られる。高次の項は粒子の自己相互作用とみなせる。* 3) 直観的に理解するには、反磁気効果を引き起こすレンツの法則を思い浮かべよう。磁場が侵入すると荷電粒子の作る誘導電流による磁場は、元の入力磁場を打ち消す様に働く。レンツ効果は原子距離程度にしか働かず効果は小さいが、プラズマ振動や後述の超伝導電流の場合は効果がマクロサイズで、力の長距離成分は大きく打ち消されるのである。

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  • 一般的に言えば、長距離力 (ゲージ場)が存在するときは、ゴールドストーンボソンは現れず、代わりにゲージ場が質量を獲得する。超伝導状態では電子の運動量空間におけるフェルミ面付近で、運動量、スピン成分が反対の電子対の間に引力が発生し (クーパー対:運動量ゼロ、スピンゼロのスカラー場)ボーズアインシュタイン凝縮を起こしている。凝縮したクーパー対カレントにより引き起こされる誘導電流は強力で、磁場を完全に排除するマイスナー効果 (完全反磁性)が発生する。磁場は超伝導体に δ ≃ 10−6cm程度にしか侵入できない。本来長距離力であった電磁力が到達距離 δ程度の短距離力に変わるのである。この場合、ボーズ・アインシュタイン凝縮したクーパー対の波動関数は位相が揃っていて巨視的な量子流体として振る舞う。粒子の集合体というより、古典的な場というイメージが適切である。場の量子論で、場が真空期待値を持つことは、基底状態 (真空)が、まさにこのような意味で古典的な場になっていることを意味する。

     数学的な表現としては、まず対称性の自発的破れを起こす前のスカラー場のラグランジアンに電磁場のラグランジアンを加え、電磁場との相互作用は、ゲージ原理に従って微分を共変微分 ∂µ → Dµ = ∂µ− ieAµに置き換えることにより取り入れることができる*4) 。

    L =14

    F µ ν Fµ ν +(Dµφ)†(Dµφ)−V(φ) (15)

    Fµ ν = ∂µAν −∂νAµ, Dµ = ∂µ− ieAµ

    この表式は、φをクーパー対の波動関数と見なせば、超伝導を記述するランダウ-ギンツブルグの自由エネルギーの表式を相対論的に表したものになっている。次に温度が下がって自発的対称性の破れが発生した時の式は、式 (15)に (11)の変換を施してやれば得られる。形を整えると次式を得る。

    L =14

    F µ ν Fµ ν +[

    12

    (∂µφ†1∂

    µφ−2λv2φ21)−

    (λvφ31 +

    λφ414

    )]+

    (ev)2

    2

    (Aµ −

    1ev

    ∂µφ2)(

    Aµ − 1ev

    ∂µφ2)(

    1+φ1v

    )2 (16)新しいゲージ場を

    Bµ = Aµ −1ev

    ∂µφ2 (17)

    で定義すれば。FB µν = ∂µBν −∂ν Bµ = ∂µAν −∂ν Aµ = Fµ ν (18)

    であるから、ラグランジアンは

    L =14

    F µ νB FBµν +m2B2

    BµBµ(

    1+φ1v

    )2+

    12

    (∂µφ1∂µφ1−m2Hφ21−

    m2Hv

    φ31−m2H4v2

    φ41

    )(19a)

    mB = ev, m2H = 2λv2 (19b)

    これは質量mBを持つベクトルボソン*5) とその相互作用 (第 2項括弧内の φ1を含む項)、質量mH を持つスカラー場とその自己相互作用を記述するラグランジアンである。ゴールドストーンボソン φ2はどこに

    * 4) 判りやすい表現をするために電磁場という言葉を使うが、以下の議論は一般的な U(1)ゲージ対称性を持つ力の場とみなしても通用する。その場合、電荷の変わりに超電荷 (ハイパーチャージ)という言葉を使い、単位電荷 eの代わりに結合定数 gを使うものと理解する。* 5) 講義ノート:場とゲージ理論の概念を参照せよ。

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  • も現れない。このように南部・ゴールドストーンボソンがゲージ場に吸収されて、ゲージ場が質量を持つベクトルボソンに変形するからくりをヒッグス機構*6) 、このスカラー場をヒッグス場と言う。ここで注目すべき興味深いことは、(16)は式 (15)に

    φ → φ′ = e−iφ2v φ =

    1√2(v+φ1) (20a)

    Aµ → Bµ = Aµ −1ev

    ∂µφ2 (20b)

    というゲージ変換をして、φ2を φから取り去り、ゲージ場の中に取り込んだ形をしている。獲得した真空状態はもはや動かせないので、質量を得たのはゲージ不変性が破れたからではなく、ゲージを固定したからであると言える。

    フェルミオンの質量: 弱い相互作用は左巻き粒子にのみ作用するから、フェルミオンにはカイラルゲージ対称性が必要となる。フェルミオン場を表現するディラックのスピノール場をψと書くと、質量を持ちかつゲージ場と相互作用をするフェルミオン場のラグランジアンは、場を右巻きと左巻きの成分に分けると

    L = ψ[γµ iD µ −m]ψ = ψL[γµ iD µ]ψL +ψR[γµ iD µ]ψR−m(ψRψL +ψLψR) (21)

    と書ける。Dµは相互作用を含む共変微分である。カイラルゲージ対称性は、右巻き成分と左巻き成分はそれぞれ独立なゲージ変換

    ψL → e−iαLψL, ψL → ψLeiαL (22a)ψR → e−iαRψR, ψR → ψReiαR (22b)

    でラグランジアンが不変であることを意味する。式 (21)の運動量項 (第 3式の第1,2項)はカイラルゲージ変換で不変であるが、第 3項の質量項はカイラルゲージ不変性を充たさない。カイラル対称性の成り立つ世界ではフェエルミオンは質量を持てないのである。そこで標準理論ではフェルミオン質量もまた自発的相互作用の破れにより生まれると考える。ヒッグス場はスカラー場であるから、フェルミオンとの相互作用は最も簡単な形として湯川型を想定する。

    L f ermion−higgs= −gH(ψLψRφ+ψRψLφ†) (23)

    局所カイラルゲージ変換で例えば φ → e−iαL(x)φ, ψL → e−iαL(x)ψLとし、ψRは局所ゲージ変換を受けないとすれば*7) 、上の湯川相互作用とヒッグス・ラグランジアン (15)は、共にカイラルゲージ対称性を充たす。位相を (11)の様に設定したゲージ変換を施し、対称性を自発的に破れば

    L f ermion−higgs→ gHψLψR1√2(v+φ1)+ (エルミート共役項) =

    (mf +

    gH√2

    φ1)

    (ψLψR+ψRψL)

    mf =gHv√

    2

    (24)

    * 6) これを、”フォトンがお化けを食べて太った”と表現することがある。自発的対称性の破れを起こす前の自由度は、フォトンは横波であるから2,複素スカラー場の自由度は粒子と反粒子 (あるいは φ1, φ2)の2で、合計4の自由度があった。対称性が破れた後、スカラー場の自由度は 1に減ったが、フォトンが質量を獲得して縦波成分を得たので、フォトンの自由度は3となり、自由度の合計数は変わっていないことに注意しよう。* 7) ヒッグスと左巻き粒子は同じハイパーチャージを持つとし、右巻きフェルミオンのハイパーチャージをゼロとした。ゲージ変換を引き起こす演算子は、力の源であるハイパーチャージ (超電荷: 電荷の拡張概念)であり、位相の大きさは場の持つハイパーチャージ Y に比例する。通常 αと書く位相は実は Yαと書くべき量なのである。ゲージ場は局所ゲージ変換 (α = α(x):すなわち位相が時空の関数)を不変にするために導入されるのであるから、局所ゲージ変換を受けない場にはゲージ場は導入されない。言い換えれば力が働かない。ハイパーチャージを持つこと、局所ゲージ変換を受けること、力が働くことは、全て同義語である。

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  • となって質量項を得ることができた。この結果カイラル対称性は破れ、また副産物としてフェルミオン場とヒッグス場の相互作用も導入せざるを得ない。フェルミオンは、フェルミオン種毎にそれぞれ異なる質量を持つが、フェルミオン質量mf は全て、共通のヒッグスの真空期待値 vとフェルミオンとヒッグスとの結合定数 gH の積であるから、フェルミオンとヒッグスとの結合定数がフェルミオン毎に異なることを意味する。また、副産物のフェルミオン・ヒッグスの相互作用の強さは質量に比例する。実はこの相互作用が、自発的にゲージ対称性の破れた理論でも、くりこみ可能性を成り立たせる必要条件となっていることが判明した。ヒッグス導入に伴うやっかいなお荷物と思われたものが、実はゲージ対称性を保証する必要不可欠なメンバーであったのである。

    隠されたゲージ対称性 ここで、対称性が破れる前と破れた後の全ラグランジアンを整理比較して見よう。簡単のため考える粒子はフェルミオンとゲージ場そしてヒッグス場のみとし、力は左巻き粒子にのみ働くものとする。

    対称性が破れる前:  L =[ψL(γµ iD µ)ψL +ψR(γ

    µ iD µ)ψR] (25a)

    +14

    F µ ν Fµ ν (25b)

    +[(Dµφ)†(Dµφ)−V(φ)]−gH(ψLψRφ+ψRψLφ†) (25c)

       対称性が破れた後: 

    L =[ψL(γµ iD µ)ψL +ψR(γ

    µ iD µ)ψR]−mf (ψRψL +ψLψR) (26a)

    +14

    F µ νB FB µν +m2B2

    BµBµ(

    1+φ1v

    )2(26b)

    +12

    (∂µφ1∂µφ1−m2Hφ21−

    m2Hv

    φ31−m2H4v2

    φ41

    )− gH√

    2(ψLψR+ψRψL)φ1 (26c)

    対称性が破れる前は、ラグランジアンはフェルミオン項 (25a)とゲージ場 (25b)よりなるゲージセクターとヒッグスを含むヒッグスセクター (25c)に分けられ、全てカイラルゲージ不変性を充たす。対称性が破れた後は、質量を持つフェルミオンとそのゲージ場との相互作用 (26a)、質量を持つゲージ場とヒッグス場との相互作用 (26b)、自己相互作用を持つヒッグス場およびヒッグスとフェルミオンとの相互作用(26c)で構成される。式 (26)からヒッグス場を取り去れば、標準理論成立以前のフェルミオンと質量を持つゲージ場および両者の相互作用を記述する基本的ラグランジアンを再現することが判る。ゲージ場とフェルミオン場の質量項は、ラグランジアン (25)の対称性を自発的に破ることにより得られたが、これはヒッグスセクターに発生する。対称性が破れたという表現は正確には正しくない。元のラグランジアンは、ゲージセクター・ヒッグスセクター共にゲージ不変性を充たすことに注意しよう。対称性が自発的に破れたと言うことは、無数にある基底状態 (真空)をある一点に固定 (ゲージを固定)して、式をその周りで展開したということであり、現象の物理解釈をそのゲージ (ユニタリーゲージ)で行うことを意味する。現象的には対称性が破れたように見えるが、数学的にはゲージを固定して展開しただけである。どのゲージに固定するかは任意であり (物理的解釈は難しくなる)、ゲージ対称性は依然として保たれている。しかし、標準理論成立以前に用いられたラグランジアンのように、質量項のみを取り出してゲージセクターに含め、残りを無視するとゲージ対称性は破れる。ヒッグスを含めた残り全体 (フェルミオンやゲージ場とヒッグス場の相互作用)も考慮すれば、ゲージ対称性は保存されている。ゲージ対称性は破れたのではなく隠されたと言うのが正しい。 トリー近似 (摂動の最低次)で反応の遷移確率を計算する場合、ヒッグスの生成崩壊を議論するのでな

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  • い限り、ヒッグス場を必要としない。しかし、高次効果を計算する場合は、ヒッグス場との相互作用を含めないとゲージ対称性が破れ、従って繰り込み不可能となる。実際の計算でこれらヒッグス場との相互作用が無限大発散の相殺に重要な役割を果たすことが示された。

    1.3 質量の起源:まとめ

     場を多重力振り子の集合体という力学的モデルで考えた時*8) 、場の質量項の起源は重力であり、振動する場とは独立の外力であった。議論を一般化すれば、質量の起源は各地点の振動子に、場所によらない固有振動を誘起する外力ということができる。素粒子が場のエネルギー量子という解釈をするならば、質量の起源は空間に一様に分布する外場との相互作用による付随的効果であり、場に固有の物理量ではないと考えるのが妥当である。標準理論では、ゲージボソンやフェルミオンはカイラルゲージ対称性を充たすので、本来が質量ゼロを持つ。自然界にはヒッグス場もまた存在すると考えれば、ヒッグス場を励起すれば当然ヒッグス粒子が現れる。しかし、ヒッグス粒子の現れない基底状態でのヒッグス場は通常は、素粒子の質量を誘起しない。低温状態になってヒッグス場が (ボーズアインシュタイン)凝縮すると (すなわち真空期待値を持つと)、凝縮ヒッグス場と素粒子場との相互作用が大きく変わり質量を発生させる。標準理論では、質量は本来素粒子に備わった固有の性質ではなく、低温状態でヒッグス場が凝縮することにより生じる後天的性質と見なす。素粒子の標準理論は、我々を取り巻く真空が、ある種の超伝導状態にあるという認識の上に組み立てられたのである。したがって標準理論の基本原理は  (1)物質はクォークとレプトンより構成される。  (2)相互作用はゲージ理論で記述される。  (3)真空は一種の超伝導状態にある。の3つであると言える。

    標準理論の弱点 ヒッグスの相互作用には質量の数だけ結合定数があり、ゲージ場のような普遍結合定数を持たない。またヒッグス自体の質量補正項などに理論的な弱点があり、ヒッグス機構は理論的に非常に脆弱と言わざるを得ない。標準理論はヒッグスという絨毯の下にゴミ (質量などのパラメター)を掃き寄せて隠しただけと言われる由縁である。言い換えれば、標準理論の弱点は質量発生のメカニズムを説明できないというところににある。標準理論におけるヒッグスの役割はゲージ粒子やフェルミオンに質量を与えるだけで、後は関与しないという姿勢をとっている。ヒッグス自身の相互作用構造は、最小費用の原理で決めたもので、理論的指導原理は何ら導入されていない。エネルギーが電弱相互作用の相転移温度(v = 246GeV. Tc . 1TeV)を越えると、高温相に移行し、そこでは縮退しないヒッグスの相互作用が重要となる。しかし、ヒッグス自身の相互作用は明確に定義されていないから、エネルギーが 1TeVを大幅に越える領域では、標準理論は予言力を失うのである。それを克服するためには、ヒッグス粒子を生産してその性質を調べなければならない。

    * 8) 講義ノート”場とゲージ理論の概念”参照

    9

  • 1.4 ヒッグスの検出法

    ヒッグス同定法 ヒッグスは、質量を持つどんな粒子とも相互作用をする。しかし、その相互作用の強さ 1は質量に比例する。フェルミオンの場合

    1H =

    √2mfv

    v =1√√2GF

    = 246GeV *9) (27)

    GF は弱い相互作用のフェルミ結合定数である。相手がトップクォークであれば質量が 180GeVあるので、1H ∼ 1であるが、相手が電子の場合は 1H ∼ 2×10−5と非常に小さい。なお、相手がWや Zゲージボソンであってもやはり結合力は質量に比例する。ヒッグスが生成された場合、

    H →W+W−, ZZ, qiqi , ℓiℓi , 2γ *10)

    などへ直ちに崩壊するが、各モードへの分岐比は質量が大きいほど大きい。もし mH < 2mW ≃ 160GeVであれば、WWや ZZには崩壊できないので、bbや ττ̄が優勢な崩壊モードであるが、mH >> 2mWではWWや ZZへの崩壊モードが優勢である。Wや Zは直ちに

    W± → qi +q j , ℓ+ν ℓ+ν = τντ, µνµ, eνe (28)Z → qi +qi , ℓ+ ℓ ℓ+ ℓ = e+e−, µ+ µ−, τ+τ−, ν ,ν (29)

    により崩壊し、クォークはジェットとして観測される。ハドロン加速器 (LHCなど)ではソフトクォークやグルーオンによる多重ハドロン (大部分はπメソン)発生が深刻なノイズとなるので、優良信号としてはレプトンを使うことが多い。Wの崩壊粒子の一つはニュートリノなのでやはり直接には測定器で検出できない。従ってもっとも扱い易い反応は

    H → Z+Z, Z → e+e−, µ+ +µ− (30)

    の4個の崩壊レプトンを測定し、レプトン対の有効質量*11) がZの質量に一致し、Z対の有効質量がある特定の値をとることを検出できれば、ヒッグス粒子を発見したことになる。上の反応はしばしば ”Goldplated events” (金箔現象)と称される。LHCの ATLAS検出器 (図 7)や CMS検出器はこの方法でヒッグスを検出する。電子・陽電子衝突型加速器では、粒子が電磁相互作用反応で作られるので、全ての粒子生成量は同じ程度であり、信号対雑音比はハドロン加速器に比べ大幅に改良され、ハドロン崩壊モードも有効な検出手段として使えることが多い。

    ヒッグス生成機構 図 5に電子加速器で、図 6にハドロン加速器でヒッグスを生成する主たるメカニズムを示す。電子加速器の図 (a)(b)は CERNの LEP加速器 (

    √s. 150GeV)で優勢な反応であった。しか

    し、エネルギー (√

    s)が 500GeVを越えるリニアコライダーでは、(c)の反応が優勢となる。ハドロン加速器による生成反応 (b)は、電子が陽子内のクォークに置き換わっただけで、電子加速器の (c)と同じ機構である。ハドロン加速器には電子加速器にはないグルーオンを通す反応 (a)があり、mH . 1TeVではこちらの方が優勢である。

    * 9) この値は、弱い相互作用の強さとゲージ粒子Wの質量値から決められた。(19b)のゲージボソンの質量表式を参照せよ。* 10) フォトンはヒッグスと直接結合はしないが、ヒッグスに結合する粒子対が閉ループを作り、そのループから放出される。* 11) ある粒子 3が2個の粒子 1,2に壊れた場合、m23 = E

    23 − p23 = (E1 +E2)2− (p1 +p2)2 = m21 +m22 +2(E1E2− p1p2cosθ)が成

    立するので、粒子 1,2を同定した上で、運動量と角度を測れば親粒子の質量を再現できる。

    10

  • 図 5:電子・陽電子反応によるヒッグス生成機構。Z∗ は Zの仮想状態を示す。(a)(b)は√

    s. 400GeVで、(c)は√

    s& 400GeVで優勢となる。(c)はW融合 (fusion)反応と呼ばれる。

    図 6:ハドロン同志の反応によるヒッグス生成機構。ハドロンの中のクォークが反応する。mH . 1TeVでは (a)が、& 1TeVでは (b)が優勢となる。(a)はグルーオン融合反応と呼ばれる。

    図 7: LHC; ATLAS検出器。http://atlas.ch/atlasphotos.html

    11

  • 1.5 補足:ギンツブルグ・ランダウの相転移理論

    相転移の微視的機構は、大雑把に言うと次のように説明される:物質の温度を下げていくと、物質を構成している粒子(原子や分子)の無秩序な熱運動は小さくなり、それに取って代わり、構成粒子間の相互作用が支配的となって転移温度以下で秩序のある相が現れる。潜熱を伴う 1次相転移 (気体↔液体↔固体など)と伴わない 2次相転移 (強磁性-常磁性転移、超伝導転移など)がある。このとき、秩序の程度を定量化するために、秩序変数 (order parameter)と呼ばれるパラメターmを導入し、mと温度 Tにより指定される状態のヘルムホルツあるいはギッブスの自由エネルギーを F(T, m)と書く。このようにすると、無秩序相はm= 0、秩序相はm, 0で特徴付けられることになる。相転移における秩序パラメターの例をあげると、液体↔固体の1次の相転移の場合は密度の逆格子ベクトルのフーリエ成分ρ (G)、常磁性↔強磁性の2次相転移の場合は磁化の強さMなどがある。相転移のギンツブルグ・ランダウ理論は、対象物体のミクロなメカニズムには立ち入らずに、系の対称性と秩序パラメターを固定したときの自由エネルギーの解析性のみを仮定するので、一般的に成立する理論である。対象範囲を相転移近傍に限り、m↔−m反転対称性を仮定すれば、自由エネルギーは一般的に次のように展開できる。

    F(m,T) = F(0,T)+12

    a(T)m2 +14

    b(T)m4 +16

    c(T)m6, c > 0 (31)

    係数 aもしくは bが∼ Tの様に変化するとき、ある臨界温度 (T = Tc)以下で相転移が起きる。この自由エネルギー関数の温度による変化の有様を図 8に示す。図 8右のように、最低点が山の向こう側にある場合はトンネル効果で移動するが、この場合、潜熱 (二つの極小値の差のエネルギー)が完全に解放されるまでは 2相共存状態となる。

    図 8:ギンツブルグ・ランダウの自由エネルギーの温度変化。温度が臨界温度 (Tc)より低くなると、秩序パラメターmが有限値をとる地点がエネルギーの最小状態となる。(左)2次相転移 (a= α(T−Tc), b> 0, c= 0)、(右)1次相転移 (a= α(T−T1), b< 0, c> 0)

    2次相転移:  b > 0の場合 6次の項は無いとしても議論は変わらないので、c = 0と置く。aが臨界温度 Tcで符号を変えるとすれば、臨界温度近傍では a = α(T −Tc), α > 0と展開できる。T > Tc(a > 0)では最小値はm= 0地点のみであるが、T < Tc(a < 0)では最小値が二つある。m= ±Mを最小地点とす

    12

  • ると

    F(m,T) = F(0,T)+12

    α(T −Tc)m2 +14

    b(T)m4 (32)

    ∂F(M,T)∂m

    ∣∣∣∣m=M

    = α(T −TC)M +bM3 = 0 (33)

    ∴ M =√

    αb

    (Tc−T) (34)

    Min{F(m,T) : T < Tc} = F(M,T) = F(0,T)−α2

    4b(T −Tc)2 (35)

    b = constの場合について、秩序パラメターmの実際に実現する値Mを図 9に描く (図 2と比較せよ)。

    図 9: (左)秩序パラメターの温度依存性。T > Tcではm= 0。(右)エントロピーの温度依存性。T < Tcでは青線 (下の線)となる。

    エントロピー エントロピーは自由エネルギーの温度微分として与えられるから

    S(T) = −∂F(0,T)∂T

    ≡ S0(T) T > Tc (36)

    S(T) = −∂F(M,T)∂T

    = S0(T)+α2

    2b(T −Tc) T < Tc (37)

    エントロピーは臨界温度で連続であるから、潜熱放出はなく 2次相転移である。比熱Cは、

    C(T) = T∂S∂T

    = T∂S0∂T

    ≡C0(T) T > Tc (38)

    C(T) = T∂S∂T

    = C0(T)+Tα2

    2bT < Tc (39)

    すなわち、比熱は臨界温度地点で不連続となる。

    一般的に言えば、1次相転移とは自由エネルギーの温度に関する1階微分が不連続であり (後述)、2次相転移とは自由エネルギーの2階微分が不連続な遷移である。

    1次相転移:  b < 0の場合 この場合、4次までに限るとm→±∞で自由エネルギーもまた→−∞で不安定となるから 6次迄とり、6次の係数は c > 0とする。この場合自由エネルギーの関数形は図 8右の様になり、T < T2ではm> 0領域に極小点が2個以上存在する。しかし、T = Tcになるまでは、m= 0

    13

  • (高温相)がエネルギー最小点であり相転移は起こらない。T < Tcでは、m, 0の地点が最小値点 (低温相)となるが、ポテンシャル障壁があるので、高温相は準安定状態であり、高温相と低温相のエネルギー差に相当する潜熱を完全に放出するまでは、2相共存状態となる。条件次第では高温相が過冷却状態となる領域である。T < T1ではポテンシャル障壁が無くなるので相転移は速やかに進行する。低温相から温度を上昇させると通常は T = Tcで高温相に移行するが、ポテンシャル障壁が存在するので、T < T2までは条件によっては低温層の過熱状態となる。すなわち、相状態は過去の履歴 (hysterisys)に依存する。以下、定量的に追って見よう。T1を定数として、ギンズブルグ・ランダウの自由エネルギー式を次のように設定する。簡単のため b, cは定数とする*12) 。

    F(m,T) = F(0,T)+12

    a(T)m2 +14

    bm4 +16

    cm6, a = α(T −T1), b < 0, c > 0 (40)

    臨界温度 Tcを決める条件は、(1) T < Tcでは、m= M , 0で自由エネルギーが極小値を持つこと。(2) m= Mでの自由エネルギーがm= 0での値より小さくなることである。

    条件 (1)は

    ∂F(M,T)∂m

    ∣∣∣∣m=M

    = α(Tc−T1)M +bM3 +cM5 = 0 (41)

    ∴ α(Tc−T1)+bM2 +cM4 = 0 (42)

    式 (42)が臨界温度以下での秩序パラメターを決める式となる。条件 (2)から、T = Tcでは二つの極小値が等しいという条件が成り立つから

    F(0,Tc) = F(M,Tc) = F(0,Tc)+α(Tc−T1)

    2M2 +

    14

    bM4 +16

    cM6 (43)

    ∴12

    α(Tc−T1)+14

    bM2 +16

    cM4 = 0 (44)

    (42)−2×(43)を作ると

    b2

    M2 +2c3

    M4 = 0 ⇒ M2 = −3b4c

    (45)

    Tc = T1−1α

    (bM2 +cM4

    )= T1 +

    3b2

    16αc> T1 (46)

    T2は (42)で Tc → T2と置き換え、M2が等根を持つという条件から決めることができる。図 10左に、こうして得られた秩序パラメターの温度依存性を示す。エントロピーは自由エネルギーを温度で微分して

    S(T) = −∂F(0,T)∂T

    ≡ S0(T) T > Tc (47)

    S(T) = −∂F(M,T)∂T

    = − ∂F(M,T)∂T

    ∣∣∣∣M− ∂M(T)

    ∂T∂F(M,T)

    ∂M

    ∣∣∣∣T

    (48)

    = − ∂F(M,T)∂T

    ∣∣∣∣M

    = S0(T)−α2

    M(T)2 T < Tc (49)

    * 12) a = const. > 0, b = α(T −T1)のように設定しても、ある臨界温度以下では二つの極小値が存在し同様な議論ができる。14

  • 図 10: (左)1次相転移における秩序パラメターの温度依存性。高温状態から黒の矢印に沿って移動する。秩序パラメターは相転移 (T = Tc)に際し不連続に変わる。T1 < T < Tcは準安定な過冷却状態、Tc < T < T2は過熱状態を表す。準安定状態は過去の履歴に依存する。(右)1次相転移におけるエントロピー変化。T = Tcの前後で E = Tc∆Sだけの潜熱が解放もしくは吸収される。

    式 (48)から式 (49)に移るとき、式 (48)の第2項は極小条件よりゼロであることを使った。臨界温度前後のエントロピーの差は

    ∆S≡ S(Tc +0)−S(Tc−0) = S0(Tc)−[S0(Tc)−

    α2

    M(Tc)2]

    =α2

    M(Tc)2 = −3αb8c

    =3|αb|

    8c(50)

    臨界温度前後のエントロピーの温度変化を図 10右に示す。臨界温度におけるエントロピーに差があるということは、位相転移の際に E = Tc∆Sだけの潜熱が解放されることを示す。

    15


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