開発秘話:igbt insulated gate bipolar transistor:絶縁ゲート型 ... · 2015-12-19 ·...

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■ 高速大電力スイッチング素子の黎明期 1980年ごろ米国では、バイポーラトランジスタと MOSFET (金 属酸化膜型電界効果トランジスタ)を組み合わせ、電圧駆動の大 電流スイッチ半導体素子の開発が始まっていた。 1983年年末に、 私自身初めて海外での学会発表の機会を得て、デトロイトで開 催されたモーターコンファレンスに参加した。そこで初めてGE 社のIGT Insulated Gate Transistor)の発表を聞くことができた。 当時、 IGBTの原型のひとつであるIGTは、サイリスタ設計から 発展したようであり、逆耐圧を有する設計であった。 帰国後、当社半導体事業部のトップから、このIGBT開発に着 手するよう命が下った。正確に言えば、出張の直前にIGBT開発 の命が下されていた。当時、半導体事業部では、モータ制御用途 の半導体素子として、数百Vかつ数百A をスイッチする大電流バ イポーラダーリントントランジスタを量産していた。スイッチン グに伴い駆動回路の消費電力が非常に大きいため、電流駆動 から電圧駆動にして駆動回路簡素化を図るべく、バイポーラト ランジスタのベース駆動入力部に、 MOSFETをカスケード接続 した製品の開発を行っていた。この代替として、高速大電力スイ ッチング半導体素子としてより適したIGBTに白羽の矢が立っ たのである。 他方、当時、総合研究所では、 1983年の2 月に留学先米国から 帰国した中川氏(現所属:中川コンサルティング事務所)が、既に IGBT の開発に着手していた。中川氏は、以前GTO Gate Turn Off サイリスタ)の開発研究者で、パワー半導体の動作原理に精通 していることは元より、パワー素子シミュレータも自ら開発をし てしまうほどの実力者であった。半導体事業部と総合研究所の 関係は、総合研究所が先端の研究開発を行い、目途が得られて 後、半導体事業部に技術移管をして製品開発、量産化を行う役 割分担であった。通常、半導体事業部は暫くおとなしく開発を見 守っているのが暗黙のルールであったが、当時の半導体事業部 トップはIGBTの将来性を高く評価し、最善の開発加速をするべ く、事業部のリソースを割いて、敢えて並行して開発を行う決断 をしたのである。私が30歳のときであった。 ■ 開発着手、破壊しないIGBT実現に向けて 1984年の初め、総合研究所から設計指針の伝授を受けた。総 合研究所としては、前述GE社に加え、 RCA社、モトローラ社と技 術開発競争に鎬 しのぎ を削っていた。各社から、それぞれのペットネ ームでIGBTの原型ともいうべき素子が発売された。即座に買い 求め調査した。中にはVth MOSFETの閾値電圧)測定時にラ ッチアップ現象を起こすものもあり、いずれも完成度は低かっ た。かかる状況下、当社のIGBTの設計コンセプトは非常に明確 であった。すなわち、ノンラッチアップ構造という全く新しい概念 の導入であった。 IGBTは、内部に寄生サイリスタ構造を有す。 この寄生サイリスタは、 IGBTをオンさせ電流を流すとターンオ ンしてしまうことがあり、ゲートではターンオフ制御ができなく なる。これが寄生サイリスタのラッチアップ現象であり、それ により IGBTは破壊に至ってしまう。 IGBTの開発は、いかにこの 寄生サイリスタをノンラッチアップの性能にできるかにあった。 当時、総合研究所も半導体事業部も、 IGBTのアプリケーショ ンはモータ制御であると認識していた。社内システム事業部か ら開発要請があったからである。モータ制御用途の大電力スイ ッチング半導体素子として、大電流、高速(高周波)、電圧駆動の スイッチング素子の誕生が切望されていた。これによって、従来 のバイポーラトランジスタに比べ、高周波動作時、駆動電力損失 の大幅な削減が期待される。開発する IGBT の目標耐圧は、 500V 1,000V に設定された。 100V入力、 200V入力のモータ制御用 途に必要な定格である。 ■ ノンラッチアップIGBT製品化に成功 当時、半導体事業部で私が所属していた個別半導体開発課で は、隣のグループでパワーMOSFET を開発していた。 900V圧のMOSFET の開発であった。当時の製品開発技術者は、自分 で設計したパターンマスクと製造プロセスで、自ら試作を行って 24 Innovation Stories SEMI News 2010, No.4 開発秘話: IGBT Insulated Gate Bipolar Transistor :絶縁ゲート型バイポーラトランジスタ) 株式会社東芝 セミコンダクター社 ディスクリート半導体事業部 秀島 誠 国際会議で発表したノンラッチアップIGBTの構造(1984年) Non-Latch-Up 1200V75A Bipolar Mode MOSFET with Large ASO Tech. Digest IEDM-1984, 16.8, A. Nakagawa, et. al

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Page 1: 開発秘話:IGBT Insulated Gate Bipolar Transistor:絶縁ゲート型 ... · 2015-12-19 · 当時、igbtの原型のひとつであるigtは、サイリスタ設 計から 発展したようであり、

■高速大電力スイッチング素子の黎明期

1980年ごろ米国では、バイポーラトランジスタとMOSFET(金

属酸化膜型電界効果トランジスタ)を組み合わせ、電圧駆動の大

電流スイッチ半導体素子の開発が始まっていた。1983年年末に、

私自身初めて海外での学会発表の機会を得て、デトロイトで開

催されたモーターコンファレンスに参加した。そこで初めてGE

社のIGT(Insulated Gate Transistor)の発表を聞くことができた。

当時、IGBTの原型のひとつであるIGTは、サイリスタ設計から

発展したようであり、逆耐圧を有する設計であった。

帰国後、当社半導体事業部のトップから、このIGBT開発に着

手するよう命が下った。正確に言えば、出張の直前にIGBT開発

の命が下されていた。当時、半導体事業部では、モータ制御用途

の半導体素子として、数百Vかつ数百Aをスイッチする大電流バ

イポーラダーリントントランジスタを量産していた。スイッチン

グに伴い駆動回路の消費電力が非常に大きいため、電流駆動

から電圧駆動にして駆動回路簡素化を図るべく、バイポーラト

ランジスタのベース駆動入力部に、MOSFETをカスケード接続

した製品の開発を行っていた。この代替として、高速大電力スイ

ッチング半導体素子としてより適したIGBTに白羽の矢が立っ

たのである。

他方、当時、総合研究所では、1983年の2月に留学先米国から

帰国した中川氏(現所属:中川コンサルティング事務所)が、既に

IGBTの開発に着手していた。中川氏は、以前GTO(Gate Turn Off

サイリスタ)の開発研究者で、パワー半導体の動作原理に精通

していることは元より、パワー素子シミュレータも自ら開発をし

てしまうほどの実力者であった。半導体事業部と総合研究所の

関係は、総合研究所が先端の研究開発を行い、目途が得られて

後、半導体事業部に技術移管をして製品開発、量産化を行う役

割分担であった。通常、半導体事業部は暫くおとなしく開発を見

守っているのが暗黙のルールであったが、当時の半導体事業部

トップはIGBTの将来性を高く評価し、最善の開発加速をするべ

く、事業部のリソースを割いて、敢えて並行して開発を行う決断

をしたのである。私が30歳のときであった。

■開発着手、破壊しないIGBT実現に向けて

1984年の初め、総合研究所から設計指針の伝授を受けた。総

合研究所としては、前述GE社に加え、RCA社、モトローラ社と技

術開発競争に鎬しのぎ

を削っていた。各社から、それぞれのペットネ

ームでIGBTの原型ともいうべき素子が発売された。即座に買い

求め調査した。中にはVth(MOSFETの閾値電圧)測定時にラ

ッチアップ現象を起こすものもあり、いずれも完成度は低かっ

た。かかる状況下、当社のIGBTの設計コンセプトは非常に明確

であった。すなわち、ノンラッチアップ構造という全く新しい概念

の導入であった。IGBTは、内部に寄生サイリスタ構造を有す。

この寄生サイリスタは、IGBTをオンさせ電流を流すとターンオ

ンしてしまうことがあり、ゲートではターンオフ制御ができなく

なる。これが寄生サイリスタのラッチアップ現象であり、それ

によりIGBTは破壊に至ってしまう。IGBTの開発は、いかにこの

寄生サイリスタをノンラッチアップの性能にできるかにあった。

当時、総合研究所も半導体事業部も、IGBTのアプリケーショ

ンはモータ制御であると認識していた。社内システム事業部か

ら開発要請があったからである。モータ制御用途の大電力スイ

ッチング半導体素子として、大電流、高速(高周波)、電圧駆動の

スイッチング素子の誕生が切望されていた。これによって、従来

のバイポーラトランジスタに比べ、高周波動作時、駆動電力損失

の大幅な削減が期待される。開発するIGBTの目標耐圧は、500V

と1,000Vに設定された。100V入力、200V入力のモータ制御用

途に必要な定格である。

■ノンラッチアップIGBT製品化に成功

当時、半導体事業部で私が所属していた個別半導体開発課で

は、隣のグループでパワーMOSFETを開発していた。900V耐

圧のMOSFETの開発であった。当時の製品開発技術者は、自分

で設計したパターンマスクと製造プロセスで、自ら試作を行って

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Innovation Stories

SEMI News • 2010, No.4

開発秘話:IGBT(Insulated Gate Bipolar Transistor:絶縁ゲート型バイポーラトランジスタ)

株式会社東芝セミコンダクター社ディスクリート半導体事業部 秀島 誠

国際会議で発表したノンラッチアップIGBTの構造(1984年)Non-Latch-Up 1200V75A Bipolar Mode MOSFET with Large ASO Tech.

Digest IEDM-1984, 16.8, A. Nakagawa, et. al

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Page 2: 開発秘話:IGBT Insulated Gate Bipolar Transistor:絶縁ゲート型 ... · 2015-12-19 · 当時、igbtの原型のひとつであるigtは、サイリスタ設 計から 発展したようであり、

いた。試作ラインが全くなかったという訳ではないが、ディスク

リート(個別)半導体では、独自プロセス設計をするため、自ら

試作することが多かった。試作をしながら、隣のグループの先輩

の話を聞く機会がきわめて多かったと記憶している。半導体素

子試作でウェーハを拡散炉の中に入れる前の洗浄工程では、10

分おきに薬品を入れ替えることが多く、この10分間に会話が弾

むのである。900V耐圧のMOSFET開発者はいつも愚痴を言っ

ていた。試作しても耐圧性能が出ないのである。MOSFETは、

必要な耐圧にぎりぎりに設計する必要がある。耐圧に余裕を持

たせると、MOSFETを流れる電流に対する抵抗成分が増えて

しまい、性能が著しく低下する。

この耐圧の問題を解決するには、抵抗成分が増えてしまうが、

ある部分の不純物拡散を深くするしかないと、いつもぼやいて

いた。拡散を深くすると表面の反転チャネル部分が長くなって

しまうので、そこを電気が流れるときの抵抗が増えてしまうの

である。したがって、普通のMOSFET設計は拡散を浅く作り、チ

ャネル長を短くするのが常識である。

IGBTは、MOSFETと基本的に同じような構造である。

MOSFETの裏面にもう一つP-N接合を加えた構造である。チャ

ネル部分が抵抗になるのも、MOSFETと同一である。中川氏の基

本設計も、MOSFET設計の常識に習った設計であった。中川氏の

基本設計指針を受けて、パターンマスクを設計した。500V耐圧に

適したパターンと1,000V耐圧に適したパターンを作成した。そ

れぞれに適したパターンとするために、拡散領域の間の距離を

変える必要がある。1,000V耐圧用には広い間隔が必要とされ

る。プロセスの設計も基本は中川氏の指針に従った。

実際に試作をする段になると、MOSFET開発をしていた先輩

の愚痴が思い出された。試作をして耐圧がまともにできないと、

評価もままならない。この思いが私を動かした。試作のプロセ

スに常識的な拡散深さのプロセスと別に、非常識な深い拡散の

プロセスも用意した。500V耐圧、1,000V耐圧、それぞれに適し

た設計のウェーハを二種類、パターンも二種類、プロセスも二種類。

これを混ぜていっぺんに試作する。少ない試作で要領よく結果

を出そうとしたのであった。

最初の試作の結果、深い拡散のプロセスの中にきわめてラッ

チアップしにくい素子が見つかった。モータ制御用途の場合、負

荷が短絡しても保護を掛ける一定期間は、素子が破壊しないこ

とが非常に重要である。その短絡耐量もある程度得られるとこ

ろまで実証できてしまった。学会で発表を聞いてからわずか半

年後のことであった。IGBTの高速スイッチ性能を実現するには、

製造プロセスの中で、キャリアライフタイム制御を行うが、この

技術として当時既に電子線照射技術を有していたことも、短期

間での開発の助けになった点も、忘れてはいけない事実である。

■雑学・雑知識(雑音)と自由な開発環境

私の開発者としての経験の中で、周りから得られる知識(雑

音)が助けになったことは数多くある。しかし、当時のIGBT開

発ほどに役立ったことは記憶にない。この後、IGBT開発も順調

に進み、後刻、大河内記念技術賞を受賞させていただいた。また、

今年、電気学会から電気の礎として表彰をいただいた。もちろん

前述の偶然の助けもあったが、若手技術者に、自由に開発させ

ることを可能にした環境があったからこそ成果に結び付いた、と

今振り返って思う。

この後、一年の間で、メンバーは3人であったが、ウェーハ接着

技術を使ったIGBT、拡散型ウェーハを使ったIGBT、アノードシ

ョート型IGBT、高放熱モジュール外囲器開発、等々、何でも挑

戦させてくれた開発環境を提供してもらったことには、とても感

謝している。

最後になるが、これらIGBT製品開発の上で必要不可欠な、ウ

ェーハ気相成長技術開発、ウェーハ直接接合技術開発、高熱伝

導セラミックス技術開発、そして本製品の応用機器であるパワー

エレクトロニクス製品開発、これらの部隊が全て社内に存在し

ていたことが、短期間にIGBTを世に送り出せる成果に結び付い

た非常に大きな要因であることを記しておきたい。

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Innovation Stories

No.4, 2010 • SEMI News

市場に出た最初のノンラッチアップIGBT(1985年)500V25A定格の1in1 IGBTモジュール

SEMI News「開発秘話」について

本ページでは、半導体業界において、技術革新や商品開発の

さまざまな場面でご苦労された方々の体験を共有する中から、

この業界に関係する方 を々少しでも勇気付け、ともに成長するき

っかけを作れたらよいのではないかと、記事のご提供をお願い

しています。

P24-25_26-04/43L 10.10.19 6:36 PM ページ 25